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  • FarEastCraft は、現在準備中です。

    2017/05/13 04:16


     ひたち海浜公園は一面に広がる美しいネモフィラの景色でや世界的に有名ですが、実は歴史的に悲しいストーリーがあります。

    (photo by poptard007) 

     ひたち海浜公園のある「ひたちなか地区」は戦前は日本陸軍の軍事演習場でした1938年に旧日本陸軍が同地区の12000haの敷地を接収すると軍用飛行場として改修され主に航空士官の育成や軍用機の演習場として利用されました。

     戦後連合国軍の管轄下に入るとアメリカ空軍は同地を水戸対地射爆撃場として改修され、その名の示す通り航空機からの爆撃の演習として運用されるようになります。


    (画像出典:http://hitachikaihin.jp)

     人口の密集した住宅街の真ん中という立地から当初より地元住人の反発も多く、また演習中の誤爆による事故もたびたび起こっており死亡者数は20人に上りました。1957年には異常な低空飛行を行った米軍航空機が親子を死傷させるという米軍機母子殺傷事件、いわゆるゴートン事件が起きた事をきっかけに地域住民を中心として大規模な爆撃場返還が起こり、最終的には爆撃場は廃止となりました。


     後に1973年に日本政府に返還され軍用地としての長い歴史に幕を閉じましたが、その間に起きた死傷事故の責任を米軍に問うことが出来なかったり、情報開示がされないまま有耶無耶にされてしまうといった事もありました。ゴートン事件に関しては日本政府は日米地位協定に基づき裁判権を放棄しています。「ひとつずつ権利を取り戻していく」そんな戦後の日本の歩みを象徴するような歴史がある地区なのです。

     その後都市整備計画の一環としてひたちなか地区は再開発される事になりますが、「平和の象徴として公園を整備したい」という地元民の思いからひたち海浜公園が作られました。不発弾の処理や土壌汚染の処理の問題もあり事業着手から開園には10年以上の歳月を要しました。

     管理センターの服部さんはOnly in Japanという海外のメディアのインタヴューに対してこう説明します。

    「当時の担当者は何を植えれば沢山の人に見てもらえるか考えながら歩いている時に、足元に一輪のネモフィラを見止めました。ネモフィラを一面に植えたら空と繋がるような真っ青な景色になるんじゃないかと思い、ぜひ植えてみたいという事になったそうです。」

     

    (photos by poptard007) 

     戦前から長らく軍用地として利用され多くの犠牲者を生み出してきた地区が、世界中の人々を魅了する美しい公園に生まれ変わった事は喜ばしい事ですね。公園内の記念の森レストハウスに併設されているギャラリーでは発掘された不発弾や詳細な歴史的資料が展示されています。公園を訪れた際に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。


    (画像出典:http://hitachikaihin.jp)


    Only in Japan のJohn Daub氏がひたち海浜公園のネモフィラ花畑について紹介しています。海外の人々の間でもその非現実的なまでの美しさが話題になっています。