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    2017/05/12 04:51

    石川県山中町は松尾芭蕉が称賛した菊の湯で知られるように古来より日本屈指の温泉街として有名ですが、山中の漆器もまた日本有数の産地として知られています。

      

    (松尾芭蕉が称賛した日本三大名湯のひとつの菊の湯は1300以上人々に愛されて来ました。出典:https://www.yamanaka-spa.or.jp)


     山中塗りの歴史は天正年間まで遡ります。越前の国から山伝いに加賀市山中の真砂という集落に諸国山林伐採許可状を持った木地師の集団が移住した事が始まりと言われています。彼らは山中温泉の湯治客相手の土産物を生産し始めました。その後、江戸時代になると塗りや蒔絵の技術が導入され茶器や塗り物の産地として発展します。


     椀などの丸物木地を轆轤で挽く職人の事を挽物木地師と呼びますが、挽物において山中の職人は日本一の技術を持つと言われており、その技術の高さを評価され輪島や飛騨など他の産地への木地の供給も行っています。


    木地挽物を製作中の山中の職人(画像出典:https://www.pref.ishikawa.lg.jp)

     


    (山中漆器のタンブラー)

     

     昭和30年代に入ると、合成樹脂の素地にウレタン塗装を施した合成漆器の生産にいち早く取り組むという舵切を行い、会津を抜いて日本一の漆器の生産量となりました。伝統を大切にしながら異業種、異分野の技術導入に積極的な山中の進取な気性は、古くより温泉街として温泉客から全国各地の情報が集まってきたという背景に由来するとも言われています。


     山中の職人達がこのように舵切りをした事で他の地域の漆職人達も漆器に合成樹脂やウレタン塗装の技術開発を始める事となりました。その結果、ガラス製品やチタン製品などにも漆が利用されるようになり、一時期は外国製の廉価な漆器に押され低迷しつつあった日本の漆器業界は再び脚光を浴びる事となったのです。伝統でありながら技術開発に積極的な姿勢というのは、日本の職人の強さの秘訣なのかも知れません。